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そう。どうでもいいことなのです。 人に自分の考えを伝えると言うことは非常に重要で、とても高度なスキルです。それがある程度形式化されたり、過去に前例のあるものであれば、あれに似たやつで、ここがちょっと違う、そうそう、それそれ。というイメージの連想というやや高度で難易度の低いスキルで代用でき、そこで共感できれば次からのイメージ形成や伝達をスムーズに行うことが出来たりできなかったり。 まぁ何が言いたいかというと、表現と言うものは柔軟性に富み、難かしくはあるものの、結果として得られる効果が非常に高いものであるわけです。使いこなせれば素晴らしい効果と、それに伴う利益や喜びはとても大きい。コミュニケーション手段の中核ともなるものですね。 ところがこの表現というもの、非常に難しい性質を持っています。殊に、自分の内面や想像の世界を形にする際には。それというのも、自分の世界を表現しようとする人は、主に独創性を持った人であるため、過去の蓄積や連想から表現可能な領域を往々にして逸脱しているためです。これはつらい。もっと、こう、こんな感じなのさ、わかるかなぁ…という葛藤ともどかしさと常に戦っているのです。 これは作家や芸術家が必ず直面するものということですが、そうでなくとも小学校でよくある作文という課題では誰もが苦しんだことと思います。語彙や表現の多用さというものは、年齢を重ねるほどに成熟するもので、それを自由に使いたい時期には得られないスキルであることが多いからです。 それでも、なんとかして苦しみながらイメージを形に残す努力を続けることで、スキルは磨かれます。そうやって、文章の表現力というものは向上してゆくのでしょう。 以下、ふと思い出した過去のひとこま。 他人の視界を共有できると面白いんじゃないか。しかし現実では無理だ。ファンタジーやSFの世界ならどうか。よし、それ、採用。共有するための技術は身近な題材の多いファンタジー世界、魔法とかそんなの。次、共有することで何かドラマが欲しい。恋愛、ホラー、戦記、のんびり…やっぱり恋愛でしょう、決定。視界を共有すると恋愛につながるか。何かの事故で相手の目を傷つけ、その代償として自分の視界を共有するというのはどうだろう。あ、いいかも。そこから日常生活を共にする展開へ。ちょっと無理がないか。いや、ここは無理を通そう。了承。相手へ向ける普段の視線。並んで歩くときの微妙な視界のずれからつまずいたり、いろんなイベントが発生しそうだ。もちろん着替えや入浴からもイベントを発生させたい。う…やばい。すごく恥ずかしいかも。5分休憩。よし、赤面収まった。次、2人だけじゃ展開に乏しいのであと2人追加しよう。そうしよう…。 とか、詩的な表現やイメージを呼び起こす表現を必死に考えていたことがありました。今、文章や表現をチェックする立場にいるのですが、過去の経験が活きているのかいないのか。まぁ数ヶ月前の自分は他人と言います。当然数年前の自分は類人猿か宇宙人か。 過去の作品読み返して赤面しましたよ、ええ。 PR |
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